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ピアノ協奏曲第5番『皇帝』第2楽章 - ベートーヴェン 【インストルメンタルな名曲】

【インストルメンタルな名曲】



ピアノ協奏曲第5番『皇帝』第2楽章

The Piano Concerto No. 5 in E-flat major, Op. 73 Adagio un poco mosso in B major





Epi-5

 1982年11月4日(木)

 ボクらが生まれるわずか20数年前まで、この国が戦争をしていたなんてまったく信じられない話だ。けれど昭和一桁生まれの親父が小学生のときはまだ、確実にこの国は戦争の真っ只中だった。――

 たしか沖縄がアメリカから返還されたのって、ボクが生まれた年あとのこと。当時、テレビなんかでやたらと大騒ぎしていたような覚えがぼんやり記憶に残ってる。

「沖縄」といえば、小学校低学年の頃、体育館で上映された映画『ひめゆりの塔』――それしか思い浮かばない。すべての内容を覚えてるってわけじゃないけれど、見終わったあと、なんだかとてつもないやるせなさが心に刻み込まれてしまった。

 『二十四の瞳』や『はだしのゲン』も、学校で見させられたはずなのに、「戦争」といえば、なぜか真っ先に沖縄のことを連想するようになってしまったのである。

――――お爺ちゃんは戦争のとき外国で死んだ――――

 毎年ってわけじゃなかったが、子供の頃、終戦記念日になると地元の海岸に親戚たちと出掛け、一度も会ったことのないお爺ちゃんの話をよく聞かされたりしていたものだ。けれど、お爺ちゃんがどこの国で死んだのかは、―― たぶん南アジアの海だったと思うけど、けっきょく何回聞いても覚えられなかった。

 ただ、海に捧げられた花束が、なかなか沖へと向かわずに、何度もボクらの足元へ戻ってきてたことだけは、なんとなくぼんやり覚えている。

 こうして、ただ、なんとなく過ごしている日常のどんな部分を切り取ったって、その戦争の痕跡をリアルに見出すことなんてできやしない。もし誰かに教えられなければ、きっとこの国に戦争があったことなんてボクらはずっと知らないままだったのかもしれない。

けれど、ボクらが生まれる20数年前までは、命の奪い合いが間違いなく行われていた。――だから、流れるボクらの血のなかには、相手の命を奪ってしまえるほどの激烈な闘争本能が脈々と受け継がれているような気がするんだ。
 
 きっと誰も気づいてないだけさ。

――――そう、覚醒しない限り。――――

 きのう、学校から帰る道中、薬局でオキシドールを買った。
 結構な分量を左手にすくい取って、伸びた前髪の左右に擦(こす)りつけ、しばらく至近距離からドライヤーの熱風をあて続けてみた。――すぐ蒸発したオキシドールの、なんともいえない生暖かな異臭があたりに充満しはじめていく。

「狙い通り!」と、まではいかなかったけど、髪の毛はたしかに茶色く変色していた。

(担任には、また殴られるかもな)

 なんだかボクは最近、やたらと教師や先輩らに対して挑発的な気分になっている。2学年上の先輩たちは相当ワルかったけど、一校上のいまの3年は、どいつもこいつもみな一様にダサいヤツばっかりだ。

 理由は全然大したことじゃなかったけれど、――

 こないだ職員室で 担任教師に20発以上殴られ続けたんだ。15発目くらいまでは覚えてたけど、あとのほうはだんだん間隔があいてきて、ふと、担任が思い出しては時々ボクを殴る、……みたいな感じだったんで、最終的に何発殴られたのかまではちゃんと数えてない。

 まわりにいたほかの教師連中は、ほとんど誰もそれを見ていなかった。きっと目には入っていたんだろう。が、鮮血の飛び散ったYシャツ姿のボクのことなど誰もまともに見ようとしていなかった。彼らは普通に談笑したり自分の机に向かって事務作業をしたりしていた。

―――― 別にいいさ。隠蔽と保身好きなボンクラどもが! ――――

 この担任教師は、ほんの些細なことでも平然と拳で顔面を殴ってくる。暴力系教師なんてこの学校にも何人かいたけれど、大抵の場合、「平手打ち」だ。 顔面を拳で平然と殴れるようなヤツは、さすがにコイツくらいなものだろう。――

 これは殴られてみないとわからない感覚なんだろうけど、その瞬間って、突然、目の前の風景がまるで、勢いよく「あっち向いてホイ」をさせられたみたいに、一瞬のうちに変化する。―― いや、衝撃によって強制的に変化させられる。大抵の人は、なにが起こったかまったくわからないので、この感覚には即座に順応することができない。

「ゴォッ」という鈍い衝撃のあと、おそらくは前かがみになったりするせいなんだろうけど、自分の上履きが、いきなりすぐ鼻の先に見えたりするんだ。

 何発も顔面を殴られ続けていると、だんだん神経が麻痺していくんで、受ける衝撃ほどの痛みは感じなくなっていく。けれど、何度も脳が頭蓋骨の内側にぶつかってるからなんだろうけど、あたまのなかが「ズキンズキン」と疼きはじめる。

 でもやはり一番キツいのは鼻を殴られたときだ。鼻骨の奥のほうで「ツーン」と錆びた鉄のような匂いがする。きっとそれは血の匂いなんだろうけど、……とにかくすんごく嫌な気分になる。だから鼻を殴られるよりは頬とかのほうが全然マシだ。

(この担任教師は、たしかボクらが中学2年になると同時に他校から転任してきたんだったな。『ギョロッ』っと飛び出した魚のように大きな目、額を横断するよう何本も刻み込まれた深いシワ、色白の肌に青々と残された髭剃り跡、そして短く刈あげられたうしろ髪、……この男が新しいクラスの担任としてはじめて教室に入ってきたとき、なんだかものすごく薄気味悪い印象を覚えた。最初の頃は、バカ真面目で大人しいヤツかとばかり思っていたんだけど、ある日を境に、この担任教師は突然豹変したんだ。――)

 ――――うす気味悪いその顔を忘れることなんてきっと永遠にできやしない。――――

 そういえば、――
 職員室で殴られてる最中、ひとりだけ止めようとしたのか、途中でボクに土下座するようにいってきたヤツがいたんだけれど、その担任から、

「立ってるほうが殴りやすいですから」

 と、いわれたら、なにもいわずにあっさりその場を立ち去ってしまったんだ。背を向け去っていったその中年教師が、たしかボクたち2年生の学年主任だったな。……まったく笑える話だね。

 学校のなかでなら、 当然許されるものだと勝手に思い込んでる故意による傷害行為のことを教師どもは、「罪」ではなく「(体)罰」と呼んで正当化している。コイツらは生徒を殴ることに快楽を覚えてしまったサディスティックな変質者か、殴ることで自分は「指導してるんだ」と、自己満足な妄想に取り憑かれたサイコパスだ。
 どんな理由があろうとも人を拳で平然と殴れるヤツなんて、暴力に快楽を覚え、みずからの理性を制御できない異常者、もしくは変人だ。

【みんながみんな、悪い教師ばかりじゃない】

 そりゃあ、たしかにそうなんだろうけど、目の前で繰り広げられてる同僚たちの暴力行為を批判も制止もしないまま、日常の風景にすっかり同化させちまってるようなほかの連中が正常だとも思えない。――歴然たる暴力が存在している学校のなかにいて「自分は知らなかった」なんて真顔でいわせやしない。結局、教師なんて異常者ばかりだ。

 そんな異常者たちが平然と存在している「学校」という名の密室、――そこは、復讐心を持てない弱者にとって、決して安らぐことのできない、まるで戦場のような場所なのである。けれどボクは、そんなに甘くない。――教師たちに対して抱く敵意は日増しに高まり続ける一方だ。少なくとも担任教師のことだけは絶対許したりしない。

 争いの歴史のなかを生き延びてきた先祖たちの血流を伝って、ボクに受け継がれた様々な遺伝的本能が心を煽(あお)る。

「ヤツられたら、必ずやり返せ」って、――いわれなくてもヤってやる。

――――そんなの当たり前のことだ。――――

 教室に戻ると、川澄マレンが心配そうな顔をしてボクのそばへとやってきた。ボクは笑いながら「大丈夫だよ!」と答えたが、しばらくすると頬の表面が硬くなり、内出血の塊が何個もできはじめていく。休み時間、トイレの鏡で眺めてみると、両頬や右目の下が薄紫に変色し、腫れているのがわかった。
 頬の内側にできた血腫を舌先でなぞりながらボクは思ってたんだ。

「でもまぁ、あれだけヤラれたにしてはそんなにヒドくもないかな」って、…………

 最近、ボクのまわりではUKパンクを聴く連中がやたらと増えてきている。「パンク」といえば、……こないだ鈴本タツヤに借りたセックスピストルズのアルバムをたまに聴いている。こんな程度のギターなら、誰でもすぐにでも弾けそうな気がするけれど、このバンドのアルバムはわかりやすいんでキライじゃない。

 セックスピストルズ唯一のスタジオアルバムとなった『勝手にしやがれ(Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols)』で、ボクが一番好きなのは、やっぱり「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン(God Save the Queen)」かな。この曲は聴いててすごく気持ちいい。「No Future(未来なんてない)」か、――なんだかすんごくいい響きだ。――

 帰り道、マレンはずっと説教し続けていた。たしかに上級生や教師たちとの揉め事は、このところ妙に増えてきているし、こないだ3人の相手に怪我をさせたのも事実だけれど、……彼女が「ブツブツ」隣で小言をいっているあいだ、あたまのなかでは、なぜかセックスピストルスの「アナーキー・イン・ザ・U.K (Anarchy in the U.K.)」のリフがリピートしていた。

(そういえばアナーキーってバンドもあったな。いつだったか斉藤ミツキに『亜無亜危異都市(アナーキーシティ)』ってアルバムを聴かされたことがある。そのアルバムに収録されていた「探し出せ」って曲のイントロのベースラインが、ものすごくイカしてたんだ)

「あんまりさぁ。先生とか先輩に反抗しないほうがいいんだからね!」

 と、マレンは大きな瞳を曇らせる。

「うーん、でもさぁ。それがパンクなんだけどね!」

 ボクは、腫れあがり突っ張った笑顔で答えた。

「なにがパンクなのよ! 全然、意味わかんないんだけど! もう! ちゃんと真面目にあたしの話、聞いてるの?」

 さほど真剣に答えたつもりはないけれど、バカにされてると思ったみたくって、マレンは「ムッ」としながらそういっていた。

――――よくわからないんだけど、きっとそれがパンクなんだろうな、って、ただなんとなく思っただけさ。――――

 なにかにつけてボクたちは、いつだって理由を求められてきた。みずからの行為や選択を正当化するための大義名分。……そもそも、それが理由なんてものの本質だ。つまりは、いい訳にもなるし、欺瞞(ぎまん)や詭弁(きべん)にもなる。

―――― どうして、そんなことしたの? ――――

 子供の頃からそうやって、いつも理由ばかり問われながら生きてきたボクたちが、無意識や衝動的にしてきた行為のほとんどに、明白な理由なんてものなど存在しやしない。
 だから一番正しい理由は、

「……よくわからないけど、なんとなくそれをした」

 が、きっと正解なのだろう。

 もし、「なんとなく」のうしろに副次的な大義名分としてなんらか要素をつけ足すならば、

「面白そうだから」

「興味があったから」

「ムカついたから」

「欲しかったから」

 まぁ、そんなものいくらでも思いつく。子供たちのそんな正直な答えになんてなんの意味もない。けれど大人たちはいつだって無意味にその理由を真顔になって知りたがる。……そして最後にさらに訊く。

――――で? 本当の理由はなに? って、――――

 だから子供たちは必要に迫られて、それらしいウソを覚えざるを得なくなってゆく。いつだって理由ばかり求めようとするようなヤツらには、ボクらがなぜ、それをしたのかなんてことなど決してわかりはしないんだよ。

 もし、そんなんでいいんなら、いくらでもアンタらの目の前に、アンタらの好きそうなキレイ事を並べてやるさ。そんなふうに上手に嘘がつけるヤツらのことを、きっと正直者だとかって褒めるんだろうね。大人たちはいつだってボクらのことをわかったような振りをする。生ぬるい理想的尺度から「こうあるべきだ」って、無意味な願望のフィルターを何枚も重ね合わせ、ボクらのことを身勝手に定義付けようとする。――――




ピアノ協奏曲第5番『皇帝』第2楽章 - ベートーヴェン(演奏:フジコ・ヘミング)



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