【邦楽バラードの名曲】
時代遅れの恋心1983年7月17日(日)
夕方――
ボクらは七里ガ浜の駅のホームで別れる。
単線のこの駅のホームへ先に到着したのはボクが乗る電車のほうだった。ボクたちは、扉が閉じる直前まで、ずっとホームで手を握り合っていた。なんだかどうしてもマレンの指先を簡単には手放すことができなかった。ホントは彼女が帰る鎌倉方面の電車を「ボクが見送る」っていったんだけど、彼女は少しだけ首を横に振りながら、こういった。
「じゃぁ、先にきたほうがさぁ。その電車に乗ろうよ」って――
やがて扉は静かに閉ざされていく。
ガラスの向う側で小さく微笑みながらマレンが手を振る。霧雨を降らし続けていた雲間からようやくこぼれ落ちてきた7月の太陽は、彼女の髪を夕暮れ色に染めてゆく。そう――いつだってマレンの長い髪は海風にそよぎ、青空と踊り、暮れゆくオレンジ色の夕陽を浴びながら光輝いていたんだ。
江ノ電はゆっくりと動き出す。
ホームで手を振るマレンが最後になにかを呟いた。3つに区切られたその彼女の唇の動き――はっきりと聞こえやしなかったけれど、ボクにはなんとなくわかった。もしかしたら違うかもしれないけれど、きっと彼女はこういったんだと思う。
【アイ・ラブ・ユー】って……
ボクが同じように唇を動かそうとしたとき、ひとりホームに佇みながら右手を振っていた彼女の姿は、緩やかなカーブの向こう側へと消えていってしまった――
「もしね……アタシたちが同じ喜びを感じていけるんだとすれば、アタシはもう、ほかにはなにもいらないんだ。だからね。アタシと同じくらい、カミュちゃんが2人で一緒に暮らせることに喜びを感じてくれているのならね。アタシはどんなところで暮らしたってホントにいいんだよ。
もしそこが、たとえ宇宙だって無人島だっていいの。
お金なんていらない。親友だっていらない……
カミュちゃんがいてくれるんなら、アタシはそれだけで全然いいんだから――」
さっきマレンがいっていた言葉が、ずっとあたまから離れずにいた。ボクはマレンと一緒に暮らせることに、果たして彼女と同じだけの喜びを感じられているのだろうか……
(彼女と2人で、ずっと一生暮らしていきたい)
ボクは本心からそう思えているんだろうか? でも、いまはそんなことなんてどうだっていい。とにかくマレンを、もうボクの前で泣かせたくないだけだ。お母さんの病気のことで悩み続ける彼女のことを、これ以上悲しませてはならない。もし、いまの彼女を喜ばせられるのならば、ボクはきっとなんだってできる。結婚だって……きっとできるさ――
ボクはウォークマンの再生ボタンを押した。こないだイトコの姉ちゃんから借りた中島みゆきの『予感』。このアルバムの2曲目に収録されている「夏土産」という曲のメロディが、いまだに心の奥のほうで、仄(ほの)かな余韻を残し続けている。カセットを早送りし「夏土産」のイントロを待つ。江ノ島駅を過ぎてしまうと、濃藍色に染まる湘南の海が江ノ電の車窓に映し出されることは、もうなかった――
「小学校時代に行ったスイミングスクールの夏休み合宿の帰りにね――」
穏やかな七里ガ浜の海に、数名のサーファーたちが浮かんでいる。マレンは彼らのずっと先にある水平線のほうを見ながらいった。
「あのときさぁ、帰りに電車が止まっちゃって、カミュちゃんのお父さんが夜、車で迎えにきてくれたでしょ。覚えてる? そのときカミュちゃんと、うしろの席でさぁ。アタシたち一緒のタオルケットで寝たんだよ」
マレンは、そういって笑った。
「そうだったっけ?」
「カミュちゃんのお父さんがね。そのとき1枚だけしかタオルケット持ってきてなかったから……結局、その1枚に一緒に包まって寝たんだよ」
「そういわれれば、なんとなくそんな気もするなぁ」
ボクはそういいながら、嬉しそうに潮風を浴びているマレンの横顔を見つめた。
「アタシね。そのときカミュちゃんと『いつか結婚したいな』って思ったんだぁ」
ボクのほうに大きな瞳を向けながらマレンはいった。
「え、あの合宿のとき? 2人で一緒に寝たからか?」
ボクは、少しだけ慌てながら訊ねた。
マレンは優しく微笑んだまま、首を横に一度だけ振った。
「ううん、違うよ――明け方ね、なんだかちょっと寒くって、アタシ、ふと目を覚ましちゃったんだ。きっとタオルケットが膝まで落ちちゃってたんだと思うんだけどさぁ。そのときカミュちゃんがね。アタシを起こさないようにしながらね。タオルケットをそっと肩までかけなおしてくれてたんだよ。そのときアタシ思ったんだ。『カミュちゃんは、きっとすごく優しいんだなぁ』って。こんな優しい人と、いつか結婚できたらいいなぁって……」
「だってさぁ、それってただ、タオルケットをかけなおしたってだけでしょ?」
と、ボクはマレンを見つめ返す。すると、マレンは乳白色の曇り空を見上げた。
「違うよぉ。アタシのことを起こさないようにしながらね、アタシに気づかれないように、そっと優しくかけなおしてくれたんだよ。そういう優しさっていうのはね。全然『だけ』なんかじゃないんだから……『カミュちゃんは誰にも気づかれないように、自然と優しさを出せる人なんだな』って……
だからカミュちゃんとね、『いつか結婚できたらいいなぁ』って、そのとき思ったんだ。その気持ちはね。いまも全然変わってないよ――ううん、これからだって、ずっと変わらないんだよ。絶対に……」
そういうと、マレンは大きな瞳を一瞬眩しそうに薄く閉ざし、そしてボクを静かに見つめて微笑んだ――
【ALOHA STAR MUSIC DIARY / Extra Edition】時代遅れの恋心 - 大沢誉志幸
セルフカヴァーアルバム『Collage』 1994年
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