【Re-Edit】【70年代洋楽バラードの名曲】
Still1983年9月13日(火)
マレンと過ごした日々の記憶は、日常のほんの些細な光景さえも、ほとんどすべてが薄いフィルム状に記録され、一枚一枚積み重りながらボクの心のどこかにしまわれている。
きっといままで生きてきた14年間の人生で、心に焼き付けられたありとあらゆる彼女以外の想い出なんかより、マレンの面影が映し出されるたった一年分の記録映像のほうがはるかに膨大で、ときどき心のなかで勝手に再生されはじめてしまうそれらの映像は、いつだって、なんだかやけに青みがかって見えるんだ。
その青さは、そのときボクが彼女に抱いた感情をあらわしている色なのだろうか?
青、――はたしてボクはあの頃、心でなにを思いながら彼女と過ごしていたのだろう?
(そういえば、すっかり蝉の声がしなくなったな)
ほんの数週間まで街の空気を振動させ続けていた「夏の風物詩」が、潔く鳴りやんだ深緑の影をボクは見上げた。――
やがて鎌倉学園の正門の奥に、カーキ色した壁に囲われた建長寺の外門(天下門)が見えてくる。ほとんど記憶にないだけのことで、実際、ボクは小学校の遠足や、七五三ついでに何度か鎌倉の寺院巡りをしてはいる。
記念写真に残された鶴岡八幡宮と鎌倉大仏以外、ほかの寺院のことなんて、本当によく覚えてないけれど、唯一、建長寺だけは、うっすらと記憶のどこかに、その映像が残されてたんだ。たしか、長い石階段があって、そのずっと上のほうに天狗だかの彫刻みたいなのがあったような、――
ウォークマンからは、ライオネル・リッチーがソロに転向する前まで所属していたソウルグループ、コモドアーズの「スティル(Still)」が流れている。
70年代の終わりにリリースされたこの曲をボクは、リアルタイムで聴いたことがないけれど、ダイアナ・ロスとデュエットし、数年前に大ヒットしたバラードナンバー「エンドレス・ラブ (Endless Love)」にも通じる、美しいストリングスのアレンジが印象的なソウルバラードだ。
最近は、すっかりシンセサイザーでストリングスみたいな音を鳴らすような音楽ばかりが目立つようになってしまっているけれど、そうした奥行きのない音楽に、本当の弦楽器が奏でる強弱やビブラートなんてものは当然ながら表現できるはずもない。つまり所詮はまったく情感が篭っていない、単なる機械の音なのだ。そんな平べったい音になんて、人の心は決して動かされやしない。――ボクは、「スティル」を聴いてるうちに「いつか、この旋律をピアノで弾いてみたいな」と、なんとなく思った。
外門を通り抜けると、そこは建長寺の専用駐車場になっていた。すでに何台かの観光バスが停車している。
「なんかさぁ、なんとなく興醒めしちゃうわよねぇ。この人工的な景色、――」
そういって、林ショウカは口元にえくぼを浮かべた。
「まぁ、仕方ないんじゃない? 北鎌倉あたりは、そもそも駐車場なんてほとんどないような場所だからさ」
と、いって、ボクはヘッドフォンを外す。すると、――
「シーナ」
と、うしろから、田代が小さな声でボクの名を呼んだ。おもわず振り返ると、
「悪いんだけど、……いくらか貸してくれないか? 必ず明日返すから」
田代はそういって、ボクの顔を一瞬、「チラッ」と見つめた。
「あぁ、そういえば、結局、アイツらから金を取り返せなかったんだもんな。まぁ、オレもそんなに持ってないけど、別にいいよ」
ボクが制服の内ポケットを探り、財布を取り出そうとした、そのとき、――
「いいよ、シーナ君。アタシが出すよ」
ボクの隣でショウカが笑った。そして田代の前まで歩いていくと、
「さっき、あの不良たちからお金を取り返せなかったのは、半分、アタシのせいなんだし、それに今日、お母さんから、かなりお小遣いもらってきてるからさ」
驚く田代を見つめながら、ショウカは微笑み、カバンから茶色いブランド物の財布を取り出した。そして一万円札を引き抜くと、
「別に返さなくてもいいよ」
そういって、田代のほうへそっと差し出す。ボクとメイは黙ったままで、そんな2人の姿を見つめていた。すると、田代が小さな声でつぶやく。
「いや、――いいよ、林さん」
そしてボクのほうへと、相変わらずの鋭い視線を送るなり、
「シーナ、2000円くらい貸してもらえるかな?」
と、ふたたび小声で頼んできた。ボクはなにもいわず、財布のなかから2000円を抜き出して、田代に手渡す。札入れを覗き込むと、残りもちょうど2000円しか入ってなかった。
「えぇ? なんで? 別にアタシが払うっていってるんだから、いいでしょ?」
ショウカは、少しだけ「ムッ」としながらそういう。
すると、田代はショウカを見つめ、珍しくはっきりとした口調でつぶやいた。
「林さん、……そのお金は林さんが自分で稼いだものじゃない。林さんのお父さんが稼いだお金だ」
「それってさぁ、どういう意味なの? だからなによ! せっかくアタシが、――」
と、おもわずショウカが顔色を変えた、すると、――
「ショウカ、――田代君のいってることは間違ってるの?」
メイは切れ長の二重まぶたを細め、静かにその薄い唇を動かす。その涼やかな瞳を、少し唇を尖らせながら見つめ返したショウカに、メイはそっと優しく微笑みながら、
「ショウカが善意でそういってるのは、ちゃんとワタシにもわかってる。けれど、そんなふうに軽々しく誰かにお金をあげてはいけないと思うの。そんなふうにして、なんの理由もなくお金をもらっても、相手の人は決して喜んだりしない」
メイが静かにそういうと、しばらくショウカは黙っていたが、やがて右手の細い指先で風にひらめく一万円札紙幣をじっと見つめ、
「じゃぁとりあえず、ここの拝観料くらいはみんなの分を払わせて。さっき、アタシのせいでみんなに迷惑かけちゃったんだから、……そのくらいならいいでしょ?」
と、いい残し、そそくさと総門のほうへと駆け出した。ショウカのうしろ姿を見つめるメイと田代の横顔にボクはささやく。
「まぁ、いいんじゃないの? 拝観料くらいだったらさ。オレも一応、さっき林さんのことを助けたんだしね」――
総門をくぐり、すでにみんなの拝観料を支払っていたショウカから拝観券を手渡されると、左右にさほど背の高くない中低木の樹々が植えられた石畳の通路をボクらは歩きはじめる。両側の桜の木立に茂る枝葉の向こうには巨大な山門(三門)の屋根が見えている。建長寺の山門は、さっき円覚寺で見たものと比べ、構えも造りもどことなく重厚で、ひとまわり以上大きいようにも思えた。
何本もの円柱状の支柱で支えられ、吹き抜けとなっているその山門一層目を見上げつつ通り抜けると、左側奥の四本の支柱で囲われている部分から上階へと、急な『のぼり階段』が続いていることに気づく。
この山門一階吹き抜け部の支柱構造は、縦方向へ伸びる円柱のあいだを、ボクの背丈ほどの高さで横方向へとはしらされた横柱が補強材としてつないでいる。――
「楼上(ろうじょう)」と呼ばれる、山門の二階へ行くためには、まず、その横柱に渡されている床板に、『茶室のにじり口』程度の四角く開けられた開口部から、垂直に近い角度の階段を数段のぼる。そして、わずかなスペースしかない床板から、さらに上階へと続く、手すり付きの階段をのぼっていくみたいだった。
「これって、上にあがれるのかな?」
ショウカは山門を見上げながらつぶやいた。
「まぁ、階段があるってことは、のぼれるんだろうけどね」
ボクがそう答えると、
「じゃぁ、ちょっとのぼってみようよ!」
そういってショウカは、ボクらのほうへ「ニコッ」と微笑み、両頬にイタズラっぽいえくぼを浮かばす。ボクがメイに目をやると、メイはひとりで山門の濃墨(こすみ)色した影のなか、白く掠(かす)れた枯れ色の支柱を覆う染みを見ていた。――
【ALOHA STAR MUSIC DIARY / Extra Edition】
【2012.03.19 記事原文】
最近、問題児な娘ニコールが大いにハリウッドゴシップ誌を賑やかしている
ライオネル・リッチーがメインヴォーカルを務めていた「コモドアーズ」。
彼らの1979年のシングルヒット「Still」をご紹介。
ソウルバラードを代表する珠玉のナンバーです。
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Still - コモドアーズ アルバム『Midnight Magic』 1979年 |